『約束』

　惑星レンネル第二の都市ベレナ──。
　この惑星(ほし)の夕暮れの空はどこまでも朱い色が続いていくようで、どうにも重苦しい……。
　他の星のことは知らないけれど、この星の上で“生きている”ということに気付いてからずっと、僕はそう感じてきた。

「──それじゃトビーは、ほんとに軍人さんになっちゃうんだね」

　傍らを後ろ手に歩いている小柄なドナ──ドナテラ＝アンが、小さく訊いてきた。

　僕に向けなかったそのあどけない横顔には、無邪気さを装うなかにも置き去られることをもう解っている子が必死に隠す、あの淋しげな表情が見て取れる。──僕はそれに気づいていないふりをして続けた。

「一昨昨日だったかな……、宇宙軍の管理事務所から合格の通知が来たよ。明日には訓練基地のあるイヴォース行の便に乗らなきゃね……」

　僕のその言葉を、俯き加減のドナはやっぱり聴いてはいないようだった。
　そんなドナの横顔から目線を戻した僕の意識は、朱い夕空の下、僕の記憶の中へと誘われていく──。


　僕はこの惑星(ほし)──この灰色の“くすんだ世界”からどうしても出て行きたかった。
　この惑星にはつらい記憶(おもいで)が多すぎたから……。僕は逃げ出したかった。
　
　でも、ここの孤児院で育った僕には出て行こうにも選択肢なんてあるはずもなくて、孤児院を出て幾つかの職を転々としてみて理解できたことは、世の中は決して平等なものなんかじゃなく、そもそも機会(チャンス)なんてものは初めから決まった人の許にしか降ってはこない、という現実(こと)を再確認しただけだった……。

　そんな時、街の片隅で銀河連邦宇宙軍の入隊募集のポスターを見て、その日の中に必要な書類を提出していた。

　何かきっかけが欲しかったから。

　数日の後に身体検査と適正試験を受けると、結果は拍子抜けするくらいあっさりと合格で、まだ階級章や部隊徽章の付いてない制服と、訓練地となるイヴォースまでの片道切符が送られてきた。
　それで昨日の夜に僕は、その送られてきた真新しい青い制服に袖を通して、育った孤児院を訪ねたのだ……。

　院長のフォアマン先生は僕のその姿に何か言いたげだったけれど、僕の意固地な表情を検めると寂しそうな顔を振って、もう何も言わなかった。

　既視感(デジャヴ)を感じた。

　あのとき……十六歳だった僕の目の前で、十八歳になったばかりのエッダが自ら命を絶った時も、先生はそうやって顔を振っていた。
　辛くて、悲しくて──、身勝手な怒りに意固地になった僕を一生懸命に諭してくれた先生……。

　──先生…、ごめんなさい……。三年経った現在(いま)も、僕は意固地なままのトビーみたいです……。


「──でも、トビーはやっぱりスゴいよね！」
　追憶はドナの無邪気さを装った声に破られ、僕の意識は現在へと戻された。

　目を瞬かす僕が──なぜ？　というふうに彼女を見遣ると、今度は真っ直ぐ僕の目を見返したドナが精一杯の笑顔で応えた。

「この惑星(ほし)を、自分の力で出て行くんだもの?　──夢、叶えたんだから！」

　まるで自分のことのように胸を張ったドナに、十六歳の頃の自分が重なる──。


「──エッダはすごいよ」

　街で歌と踊りの才を示してみせた十七歳のエッダに、僕もそう言って羨望の眼差しを向けたんだ……。
　歌と踊りが好きな少女だったエッダは、この背徳の街に生まれ落ちたというだけで残酷な大人たちの食い物にされ、十八歳になった日の朝に自殺した。

　そうだ……。
　その朝の前の日に、彼女は僕に言ったんだ──「一緒にこの惑星(ほし)を出よう」って……。

　僕は、何も応えられなくて──、いや……「一緒に行けない」って、そう言うことすらせずにいて、その朝を迎えたんだ……。


「まだ叶えたわけじゃないよ。──それに、ここを出たって、それでどうなるかなんてわからないから、さ……」

　ドナの精一杯の励ましの言葉(エール)にも「ありがとう」、その一言が言えずに、そんなことを言って僕はまた逃げてしまう……。
　そんな僕にドナの方が心細そうになった瞳を向けた。

　僕はその綺麗な瞳をずっと見続けることができなくなって、目を逸らして、いつもポケットに忍ばせて孤児院の子供たちに配っているお菓子(チョコ)を引っ張り出していた。

「そんな顔しないでよ──」　そう言って僕はチョコの包みを差し出す。

「…………」

　ドナは受け取らなかった。もうそんなものに気を惹かれる子供じゃないんだから、と言いたげに、ちょっと拗ねたように口を尖らせている。

　そんな彼女の小さな自尊心をこれ以上傷付けないよう、僕は包みを剥がすとチョコを割って自分の口に放り込む。
「うん、美味い。……やっぱティエリアの店のチョコ生地は最高だね」

　視界の端のドナの横顔の視線が持ち上がり僕の視線とぶつかると、僕は笑って見せて、残り半分の包みを再びドナに差し出す。今度はドナも受け取った。

　それから駅までの道すがら、僕もドナも黙ったままだった。


　ベレナの街の見渡す限りの高層の建造物の、その灰色の谷間から見える空を染める朱い陽の光。
　その対比(コントラスト)の中を僕らは黙って歩いた。

　──もう、ドナと会うことはないかも知れない。

　そう思っている自分がいて、それはとても相応しいことのように思われて、そんな自分に結局は安堵してるような……。

　──それって逃げてるだけだろ？

　あたまの中で自分(ぼく)が僕に言っていた。

　──そうだよ、逃げてるんだ。……けど、それのどこがいけない？

　それに応える自分(ぼく)……。駅までの間、そんなやり取りが続いた──。


　──まーオマエはそれでいいんだろうけどさ……それで彼女(ドナ)はどうなるんだ？　彼女だけじゃない……孤児院の他の子供達やフォアマン先生にだって、オマエは真面に向き合いやしない。

　──やめてくれ…！　どうしろって言うんだ……　

　──責任を持つのが怖いんだろ？　いつだってそうだ。他人(ひと)が煩わしい……エッダのときだってそうだ。　

　──ああ、そうだよ！　オレは…、他人(ひと)の人生を抱え込めるほど強くないんだよ！　それに……大人は、大人の都合で生きてる……。フォアマン先生だってそうだろ……。

　フォアマン先生の善良な顔が脳裏に過(よ)ぎると、一瞬心が痛んだ──。弱い立場の善良な男は、この残酷な世界の中、良心だけでオレたち孤児を養っている。オレだってこの男(ひと)に救われた……。

　そんな男の無力を詰(なじ)る俺を自分(オレ)が冷ややかに見ている。

　──だからオマエも自分の都合で生きる、てか？

　俺の中の自分(オレ)の瞳が、怒っていた。


「──フォアマン先生には、ちゃんと謝っておいた方がいいよ」

　自分との際限のない諍(いさか)いはドナのその台詞で幕引きとなった。
　気付けばもう、駅舎のない駅の古びた貨客路線のホームまで来ていた。無機質で寂れたホームの上で、ドナは小さな微笑を浮かべて言った。

「先生、トビーと話してから元気ないの。
　あんまりワガママ言って困らせるのは、良くないよ……。
　──トビーだってもう大人なんだから」

　ドナの声が優しいことに僕は後ろめたい気持ちになって、それを押し隠すことになる。

「そうだね……」


　宙港までのライナーチューブに乗り継ぐ列車は既にホームに入っていて、僕は指定の客車の乗降口(ステップ)にずた袋(マチルダ)を背負って飛び乗った。
　嵩上げのされていないホームに立つ小柄なドナの目の位置からだと相当に高い位置に立つことになった僕を、小さな彼女は背筋を反らすようにして見上げることになる。
　風が吹いて彼女の額にかかる前髪をゆらしたとき、彼女の心細げな表情(かお)が真っ直ぐに僕を見上げていることに気付く。

　彼女は意を決するように小さく深呼吸をしてから口を開いた。

「…待ってるよ……」
「……え？」

　その小さな声に、僕は思わず訊き返していた。するとドナは、今度はハッキリと僕の耳に届くように言った。

「わたし、待ってるから！　わたしは、いつだってここにいるから！」

　そう言い募って、すっと息を止めた。あいかわらず真っ直ぐに向いた彼女の瞳のあまりの表情の豊かさに、僕は言葉を失ってしまう。今度は、その瞳から目線を逸らすことができなかった。

　──そうだ。……あのときの僕は、エッダにこう言うべきだったんだ。「ここにいるから」って……。

　確かにあのときの僕は一緒に行くことはできなかった。でも……、エッダの戻れる場所を守ることはできたんじゃないかな。

　──そうやってずっとここに縛られて、かい？　

　素直になれない自分(ぼく)が現れる。──またオマエか……。するとその素直でない自分(ぼく)の言い分に、僕の心が噛みついた。

　──違うだろ?　オマエ一人じゃないだろう。先生だって、ドナだって、他のみんなだって少しずつ、そうやって誰かの場所を提供してるんだよっ……誰か一人が背負うようなもんじゃない！

　──わかってる……。わかってた……。

　僕は、あたまの中の自分(ぼく)を振り払うように、ただドナを見つめた。


　──どうする？　また逃げるかい？

　あたまの中で、また自分(ぼく)が僕に言った。……うるさいな。──今度は答えを見つけられた気がしてるんだ。

　──いいや、もう逃げないよ。

　もう、自分からも、他人(だれ)からも逃げ回るのには疲れてるんだ……。


　ドナの綺麗な目が、僕を見上げている。
　今度は、僕が意を決する番だった。

　僕は乗降口(ステップ)の上に腰を落として、目線をドナの目の高さに下ろした。
　そうするとほんのすぐ近くにドナの顔があった。さすがに近くて、ドナはドギマギしたふうにわずかに顔を伏せる。

　僕だって気恥しかったけれどもう時間がなかった。そろそろ列車の出発(でる)の時間だったから。

　僕はドナにだけ聞こえるくらいの声で言った。
「来年の聖バレンタインの祝日(バレンタインデー)にはティエリアの店で一緒にパフェを食べよう。戻って来る。約束だ」

　最初、何を言われたのかわからなかったのかドナは俯いたままだった。
　それから、ふ、と頭が持ち上がる。僕は視線が上がりきる前におとがいに手を当てて上を向かせた。
　彼女が目を閉じるのも待たずに、一瞬だけ唇を重ねる──。

「…………」

　目を一杯に見開いたドナに、僕は小さく敬礼っぽく手を振って立ち上がって言う。

「約束したぞ」

「うん……」

　ドナは嬉しそうな顔をして、それからゆっくりと俯いて目を伏せた。

　そんなドナから僕も目線を逸らし、乗降口(ステップ)の奥へと下がる。──さすがにこれは、自分(ぼく)も許してくれるだろう。

　遠くで警笛が鳴った。
　目の前で閉じたドアの窓ガラス越しに、ゆっくりとドナが流れていく。


　１年経ったら、最初の長期休暇にはこの惑星(ほし)に戻って来よう──彼女のもとに。
　戻って来れる所があるってことは、素敵なことなんじゃないかって、いま、そう思ってる僕を信じよう……。
　そうしたら、自分(ぼく)も、エッダも、いつかは僕を許してくれるだろうか……。

　そんなふうにして、僕は故郷の星を出たんだ──。







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