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『若いうちの無理』
「はぁ…──」
週が明けてからこれでもう何度目かわからなくなってしまった溜息が、知らずまた口から漏れてしまった。
〝トビー〟ことトバイアス・ラウキンは、その自分の発した溜息に顔を顰めると、手にしていた手紙と添えられた写真とから目線を青空へと投げ出して仰向けに倒れ込んだ。
── 未練たらしいったらないよね、我ながらコレは……。
そんなトビーが横たわる作業棟端の斜面の上段部分はランニングコースとなっていて、トビーの視界の上端ではいま当にトレーニングウェア姿のテッサ・フーパーが長いブロンドに風を孕ませて流れてくるところだった。
トビーは慌てて上体を起こした。
いまの自分の顔は職場の知った顔には見せたくなかったからで、しばらく黙ってテッサが行き過ぎるのを待った。
そのまま声を潜めるようにして身体の力を抜いていると、背後のテッサの気配は通り過ぎていった。
トビーはもう一度溜息を吐くと、再び上体を斜面の芝生へと投げ出した。
左の手の中の手紙と写真をもう一度だけ顔の前に持ってくると、一瞬破り捨てようかと添えた右手を押し止めて、結局それをたたんで胸のポケットへと仕舞った。
それは故郷の孤児院にいる幼馴染みからの２通の手紙で、先に届いた方の消印はもう２週間ほど経っている。
その文面で伝えらえれてきたことは、要約すると、まぁつまり……
『わたし結婚することになりました』 というもので、トビーにとっては寝耳に水、青天の霹靂だった。
それから半月ばかり、食欲はないし、あんまり眠れてない……。
目を瞑りしばらく心を空っぽにしていると、不意に傍らに人が立つ気配がした。
意を決して薄く目を開けると、顔に掛かった影の主を見上げる。
知った顔だった。
第１機動連隊《キャバルリー・ワン》の部隊章を付けた小柄なタンカースジャケット姿は、銀髪ショートウルフのボーイッシュな少女で、その勝気そうな紅い瞳がトビーを見下ろしていた。
「…………」
トビーは先程までとはまた違った感じの溜息を吐くと、のろのろと上体を起こして座り直した。
少女は黙ってその隣に座った。
「どうだった？」 しばらく沈黙が続いた後、少女──名前は〝ジョーイ〟ジョセフィーン・ベイリー──は、トビーに訊いた。「──わたしの言った通り、やっぱり何かの……」
「〝何かの間違い〟じゃあ…、なかったよ──」
なるたけ何でもない事のように聴こえるような声音で言う。それからトビーは、胸のポケットから写真だけを引っ張り出して側らに座ったジョーイに顔は向けずに差し出した。
ジョーイはおずおずという感じでそれを受け取ると、視線の前に持ってくる。
そこにはとても楽しそうに笑う女の子──１８歳のジョーイよりも少し年少に思えた──と、少し落ち着いた感じの優し気な青年──こちらはトビーよりも少し年長に見える──が一緒に写っていて、もうこれ以上の説明は不要なことは一目瞭然、という感じの１枚だった……。
ジョーイは生来勝気に見える瞳に動揺の色合いを浮かべて、側らのトビーに向いた。
「あ…の……」 目線を落とすと、肩を竦めるように小さくなって言う。「わたし…てっきり…… ──ごめん…なさい」
すっかり意気消沈するようになって言ったジョーイに、逆にトビーの方が同情したくなって──いや、それは嘘だ。実際は自分がこれ以上惨めになってしまうのが嫌で──彼女の言葉を制した。
「これはジョーイの所為じゃないでしょ？ むしろジョーイに背中押してもらって僕もこうやって納得することができたわけだから── 感謝してる……」
言ってジョーイに顔を向ける。笑ってみせる前に、すっかり小さく背中を丸めた彼女の上目遣いの目線──捨てられた子ネコを見るような目で見ないでよ…… ──と目が合ってしまった。
気拙くなった中、トビーはジョーイから返された写真を受け取った。
それは〝勝負あり〟の写真……。
ジョーイの「わたしだったら本気かどうか確かめる。理由だって知りたい。何かの間違いかもしれないもの」という言葉でトビーが送った返信──僕だって詳しいコトを訊きたかったんだ──に戻ってきた方の手紙に添えられていた１枚だった。
それを見たときにはもう、トビーは、感情の方はともかく、頭の方が素直に負けを認めていた……。
二人がお似合いだったこともあるが、それよりも何よりも、そこにはトビーが見たこともない〝彼女の笑顔〟があって、それがとても眩しく感じられたのだ。
心配そうなジョーイの視線に、それで自分の表情があんまり体裁を保ててないことが判ったトビーは、観念してもう正直に〝情けない表情〟を向けることにした。
「ま、そーいうわけ……」 自分に向けて肯くように言う。「これじゃもう、〝兄〟としては二人を祝福しないわけにはいかないじゃない？」
言いながらトビーは、自分でこのことを〝こんなふうに〟言えるのが不思議に思える。
言われた方のジョーイは、何やら納得しかねる表情だったのだが、やがて無理矢理に納得したふうにトビーを見返した。
「──そうだね……」 小さく頷いて言う。
トビーにとってありがたいことに、彼女はもうそれ以上は何も言わないでいてくれた。
しばらく二人とも黙っていると、遠くから課業開始──昼の休憩時間終了の５分前のサイレンが聞えてきた。
トビーは元気に見える様に立ち上がると、一拍遅れて立ち上がったジョーイを向く。
「それじゃ──」
「うん…… あ、そうだ──」 別れしなにふと気づいてジョーイが言う。「アキラが捜してた。帰りにハンガーに顔出しといて」
トビーはもう一度ジョーイを見遣ると、軽く首を傾げてみせた。「アキラさんが？」
ジョーイはもう一度、うん、と小さく頷いた。
「わかった。あとで寄るよ」
トビーはそう言うと、後ろ手をバイバイ、と振ってようやくその場を離れた。
＊
午後一のメインハンガーは、まだ本格的に午後の課業が始まっていないこともあって比較的静かだった。
トビーはようやく顔と名前が一致し始めた整備作業員たちを見回し、目の合った幾人かと軽く目だけで挨拶を交わした。そのうちの一人が、資材搬入口の方を指差して頷いてみせた。
見ればメインハンガー裏手の資材搬入口端に積まれた４セットばかりの複合センシングユニットを前に、アキラ・フミナリのツナギ姿があった。
「アキラさん ──捜してるって訊きましたけど？」
その声で手にした端末から検品領収の操作を行っていた彼女は、トビーが彼女の姿を認めて近づいて来ると端末から面を上げた。
「やっときたか……」
溜息混じりに独り言ちるように言って、正面に向き直ったアキラはまじまじとトビーの顔を覗く。ほんの少しだけ迷うふうに見えたのは、トビーの思い違いだったかも知れない。
「──トビー……」 アキラは厳しい表情を浮かべて、徐に口を開いた。「最近のアンタの仕事だけど、褒められたもんじゃないね？」
言われた方のトビーは、自分でも思い当たることがあったのだろう。彼は真っ直ぐにアキラの目を向いて唇を引き結んだ。
そんなトビーの目の表情に、アキラは内心で目を細めて続けた。
「先週のアンタの作業で不具合が出た。……どうしてくれる？」
＊
「いいんですか？」
領収したばかりのセンシングユニットに取り付いて作業に入ったアキラの背に、先のトビーとのやり取りを見聞きしていた整備兵のチャーリー上等兵が何とはなしに訊いた。
「トビー？」 と返すアキラ。
「ええ」 チャーリーは頷く。
そんなチャーリーに、アキラは自らの作業の手を緩めずに応えた。
「大丈夫だと思ってる ──若いうちに無理させるのもココの伝統だしね……」
アキラはそう言うと、センシングユニットのパッケージの中から専用の冶具を引き抜き、側らのチャーリーへと放った。
たぶん、トビーなら自分の尻拭いくらい何とかなる。
アキラは、トビーのラインの直近の長であるドナ・クレストの顔を思い浮かべた。
ドナが頑張り屋の分、トビーも頑張るだろう。
あの子は〝そういう子〟に思える。
もし何とかできなかったときは……、まあ何とかなるさ。
アキラはそう考えをまとめると、あとは午後の課業に没頭することにした。
＊
メインハンガーを後にしたトビーは、プログラムルームにいったん戻ってチーフのドナに事情を説明すると、本隊──第１機動連隊の整備小隊付きＤ整備ハンガーへと急いだ。
アキラに言われた不具合の件は、トビーにとって痛恨だった。
思い当たることはあり過ぎた。
トビーの頭の中で、〝あの手紙〟を受け取ってからの１週間がぐるぐると巡る──
その中で問題となった件はこういうものだった。
明日の朝に訓練ローテ入りする本隊──第１機動連隊のＥ（イージー）中隊配備機の制御プログラムのアップデートと再調整で、トビーの受持ち分の機体に不具合が生じたのだ。
これらの作業は本来、連隊の支援部門である整備小隊の職掌であって開発中隊に属すトビーやアキラたちの仕事ではなかったが、連隊の教育訓練ローテーションのタイミングによっては整備対象機が集中することもあり、そんなときには開発中隊の整備員が駆り出されることもあった。つまりは〝持ちつ持たれつ〟というヤツだ。
まぁ、それは兎も角、トビーは新人ながら作業の要点を掴むのが上手なタイプだったし、そういうことを自任してもいて、常ならば手際よく熟したろうと思う……。
が、このときのトビーは（いまだってそうだが……）全く普通じゃなかった。
ともかく集中力がない。
普段の自分ではちょっとあり得ないような凡ミスをする。
人の話が頭に入ってこない、よく話が飛んでいる……。
何か〝やらかす〟な、と自分でも予感めいたものがあったのだが、結果がこれだった──
見掛けの上では、受持ち分の３機のバトルアームはロールアウト待ちの状態に仕上げたのだが、うち１機の調整が不十分──申し送りのあったカスタマイズが必要なイレギュラーな個体にデフォルトのパラメータのままで作業をして、そのまま完了としてしまっていた。
言い訳の出来ないミスだった。
だからアキラに咎められたとき、半ば以上、反射的に応えていた。
「──訓練開始は明朝だから、ロールアウトの刻限は１８００時くらいですよね？ まだ６時間近くある… やります、再調整します」
１機あたりの調整には、それなりにスキルを磨いた調律士でも２時間以上かかる。
件（くだん）の個体は相当の〝ガタツキ〟がある機体で──だからこそ『申し送り』があったわけだが──、パイロットを巻き込んで微調整をせざるをえず、もっと掛かるだろう。
ハッキリ言って新人の電脳調律士が一人でリカバリーするには、もう時間的に難しい状況だった。
それでも自分の仕事をやり遂げたかったトビーは、必死な目を向けることでアキラに訴えた。
「断っとくけど、ウチからはもう人出は繰り出せないよ？」
アキラは、一応体裁のためかそう訊くと、頷いたトビー一人を中隊のハンガーへと送り出してくれた。
だからもう失敗はできない。
トビーはそう固く自分に言い聞かせてハンガーへと急いだ。
Ｄ整備ハンガーの１つだけ開いた搬入出口に飛び込もうというトビーは、その開いた扉の側らに小柄なタンカースジャケットの人影を見留めた。思わず足を止める。
「──ジョーイ？」
トビーが声を掛ける前からずっとこちらを見遣っていた彼女は、トビーの呼掛けにハンガー端の壁から預けていた背中を離した。ジャケットのポケットに両の手を突っ込んで、とっとっ…、とトビーに近寄ってくる──
「待ってた……」 当たり前のように隣に滑り込んできて言う。「──手伝うから……」
言って、ちらとトビーの顔を窺うように見上げた。目線が合うと、トビーは慌てて言った。
「──待ってた、って…… 関係のないキミに手伝わせるなんて出来ないよ… これは僕のミスだし……」
そんなトビーを、ジョーイは困ったような表情でじっと見上げる。
トビーが怪訝に見返すと、やがて小さく口を開いた。
「関係なくないよ…… 不具合の機体は、わたしの機体……」
トビーはあらためてジョーイの顔を見返した。ジョーイが小さく頷いて返す。
「──それは…その… 申し訳、ない……ほんとに……」
しどろもどろにそう言うのが精一杯のトビーは、〝穴があったら入りたい……！〟 とはこういうことだ、と切に思った。
＊
刻限の迫る１７４０時頃──
結局、トビーとジョーイとで正味５時間ほどを掛けた調整作業は、何とか実を結びつつあった。
ジョーイの機体は過去に相当なダメージとストレスを受けていて、制御系をデフォルトのパラメータで動かした場合、各部の駆動とフィードバックが許容範囲の中に納まってくれない。それを電脳調律士であるトビーが『申し送り』にあったカスタマイズ値を基に初期値を組んで、バトルアーム・パイロットのジョーイが実機を操作しつつ実効値を探る、ということを繰り返して最適化していくことになる。
せっかくなのでジョーイの操縦の癖を取り込み、そこに特化し最適化したパラメータを組んでみた。オーバーワークではあるが、とくに規定に抵触するようなことはない。ただ手間がその分掛かるわけで要らぬ仕事を増やすことでもあったが、トビーは職業上の好奇心から、ジョーイはそれで少しでも機体性能が引き出せるなら、とこっそり作業を紛れ込ませた。
想像以上に地道な作業が続いたが、文句一つ言わずに単調な作業に打ち込んでくれたジョーイの手前もあって、トビーも常ならぬ集中力を発揮することができた。
取込みパターン全ての操作をジョーイが終えて再計算のルーチンが走り出すと、トビーは漸く一息ついて端末の画面から視線を外した。側らのコクピットハッチを開け放ったバトルアームを見上げたが、ジョーイがコクピットから這い出てくる気配はなかった。
トビーは自身も固まった身体を伸ばすようにして立ち上がると、ハッチの外からコクピットを覗き込んだ。小さな体をシートの中に丸めていたジョーイが、のろのろと面を上げてトビーを見上げると、二人の視線が逢った。
さすがに疲れの表情が浮かんでいる。
「お疲れ──」
トビーは制服のポケットから棒付きキャンディー──孤児院の子供達向けに常に忍ばせておいてるのが癖になってる──を２本引っ張り出すと、１本をジョーイの顔の前に差し出す。ジョーイはおずおずと受け取った。
トビーはそんな彼女に笑いかけ、自分の分のキャンディーの包を解いて口に放り込んだ。
疲れた頭に甘みが心地よかった。
ジョーイもちょっと嬉しそうに笑うと、包装を解いて口に入れた。そうすると、しあわせそうな顔になった。
そんな時間をしばらく楽しんでから、トビーは素直な気持ちで言った。
「ありがとう── 助かった」
ジョーイは静かに頷いて返す。
トビーはちょっと大げさに息を吐いてみせ、言葉を続けた。
「この１週間で１番のミスだったけど、何とか取り返せた──」 ジョーイの顔を向いて言う。「ジョーイのおかげ。このお礼はちゃんとするよ……」
そんなトビーを見上げるジョーイは、少し間を擱いてから意を決したように、トビーに訊いた。
「──１週間、ずっと辛かった……？」
手紙の件ですっかり責任を感じてしまっているのか、元気のない探るような声だった。
トビーは意識してしれっとしたふうに言う。
「まぁ…辛かったのかな。いまだって辛いんだけど……」 ハンガー内を見渡すように視線を巡らした。「でも、そんなことだって忘れられるくらいここは忙しいし… ──女の子のことを気に病んでる暇なんて、実際ないよね？」
トビーは、うん、と一つ頷くと、案外にさばさばとした表情になってジョーイを見た。
ジョーイもぎこちない様子ながら頷いて返した。
「──まあそれが『正解』だ、トバイアス」
出し抜けに知った声が耳に飛び込んできた。
え？ とそちらを見やったトビーは、そこに同僚の電脳調律士──ローランド・ナグチの、面白くなさげないつもの表情を見た。
「ローランド…… あれ？ なんで？」
こんな場所で彼の姿を見ようとは思ってもなかったトビーが、目をぱちくりと瞬かせる。
ローランドは淡々とした口調で答えた。
「作業の確認はダブルチェックが基本だからだ。ドナの指示で私がここに来た」
言ってチェックリストの束を掲げてみせる。
「仕事だからな──」
それから機体に繋がれたトビーの端末を手に取って画面を見遣った。
こっそり追加したカスタマイズには気付くだろうか……。
ローランドは幾つかのアイコンを手早く操作すると、画面をしばらく凝視して、しばらくすると顔はそのままに声だけをトビーに向けて言った。
「──それからこれはいつも言ってるコトだが、ここでも敢えて言わせてもらうぞ…… ──トバイアス、オマエは余計な仕事を増やしすぎだ」
「…………」
言われてしまったトビーは、今回は何も言い返すことができず、バツの悪い表情になって視線を落とす。
するとそこに、神妙な様子のジョーイの真顔があった。
「…………」
彼女は何も言わなかったが、気づかわし気な色をした瞳で、じっとこちらを見ている。
トビーの方は増々バツが悪くなって、あとはもう溜息を吐くばかりとなる。
そんなトビーに、ジョーイは目元だけ小さく笑って言った。
「トビー…── がんばって」
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