プリズム・オリジン外伝　親友の条件

プリズム・オリジン外伝　　『親友の条件』「静かにしたまえ。周りの皆が迷惑している」「なんだよ、偉そうに。自由時間に何をしようと勝手だろ」「自由とは、他に害を及ぼさないことが前提だ。そんなこともわからないのか」「へいへい、悪かったよ。取り締まりごくろーさん」　初めて顔を合わせた時の印象は最悪だった。　聞けば、あいつは王国重鎮の系譜で名家の当主候補。対する俺はと言えば、スラム出身のならず者候補ってとこか。互いに理解の外にいる相手だ。まるで違う環境で育った人間が出会った瞬間にわかり合えるなんていうことは、子供向けのおとぎ話の中でしか起こらない。　俺があいつと慣れあいたいと思わないのと同様に、あちらさんも俺のことなど、これっぽっちも気にしていないだろう。そのはずだった。　出会った時の印象は、あまりいいとは言えなかった。　魔法を絶対とする家訓を叩き込まれて育った私と、自由奔放に育ったであろう彼と。共通点など何もなく、接点を持ちたいと思うこともない相手。そう分類して終わらせる。　それなのに、生徒たちの輪の中心にいる彼の姿は私の目にたびたび映り込み、どこか落ち着かない気分にさせた。　◇　◇　◇　　　　　秋も深まったある日、クラウス・アイマーは星辰学舎棟を出たところでふと足を止めた。抱卵学舎棟の向こうの林の中に、人影が見えたからだ。目を細めて木々を透かすように見てみると、それが夏まではクラスメイトだった抱卵学舎生のルオーネ・ジェッダであることがわかった。　あまり相性の良くない相手だ。見なかったことにしようかと思ったが、目をそらそうとした瞬間にルオーネが膝から崩れ落ちるように倒れた。クラウスはギョッとして、慌てて走り寄った。「物好きだな。苦手な相手なんだろう？」　肩に乗る〈フェロウ〉のヴィンターが、理解しがたいといった口調で首を振る。「そういう問題じゃないっての。具合の悪そうな奴を放っておけるかよ」　クラウスは、倒れたルオーネのそばに片膝を付くと、その肩に手をかけた。「おい、どうした。しっかりしろ」　軽く揺さぶろうとしたそのとき、ルオーネの体の下から、何かが軋むような音がした。『キ、キキ・・・』「なんだ？」　怪訝な顔になったクラウスが覗き込むと、そこには異様な姿の人形があった。「こいつは、もしかして・・・」『キキ・・・キ、キ』　関節がむき出しの手足に、申し訳程度に体を覆う短い灰色の胴衣。全身が漆黒の人形の、これも漆黒の顔面には、ぽつりと落ちた水色のしずくがひとつだけ。目も口も無い人形が、それでもクラウスには嗤っているように見えた。「おい、・・・おい！　起きろ！」　ルオーネの肩をつかんで仰向けにさせ、乱暴に揺さぶる。だが苦しげな顔のまま、目を覚ます気配はない。「ええい、しょうがねーな」　まだ軋む音を立てる人形を拾って懐に押し込むと、クラウスはルオーネの体を背負い上げた。身長には差はあまりないが、ルオーネの方が体格がいい。気を失った人体という扱い難さも相まって、足元がふらついた。「正気か、クラウス。お人好しにも程があるぞ」「ああ、自分でもそう思うよ！」　呆れたような〈フェロウ〉の言葉に自棄気味に答えを返し、クラウスはルオーネを背負ったまま寮へ向かって走り出した。　苦しげに寄せられた眉が動き、ゆっくりと目が開いた。「ここ、・・・は・・・」　ぼんやりとした表情がクラウスを捉えたかと思うと、パッと瞳に光が戻った。「なぜきみがここに・・・！」　かすれた声で叫んだルオーネが、寝かされたベッドから跳ね起きようとしてもがく。それを見るクラウスは、ベッドサイドに置かれた椅子で、組んだ足に行儀悪く頬杖をつきながら答えた。「なんでもなにも、いきなりぶっ倒れたお前をここまで運んだからだけど？」「な、に・・・？」　ルオーネはそこでようやく自分が寮の医務室でベッドに寝かされていることに気付いたらしい。今度はゆっくりと体を起こし、周囲を見回す。「抱卵の校舎奥の林ん中で倒れたんだよ、お前。そのまま放っといてもよかったけどな、そろそろ日も暮れるし、それで風邪こじらせて死なれでもしたら、さすがに寝覚めが悪いだろ？」　クラウスが飄々と言って肩をすくめてみせると、ルオーネは呆然としていた表情を引き締めた。ベッドの上で居住まいを正し、クラウスに頭を下げる。「そう、だったのか・・・恩に着る。ありがとう」「え・・・お、おう」　ここまで直球な感謝の言葉が来ると思わず、クラウスは奇妙な顔になった。が、すぐに、更なる問題を思い出して大きくため息をつく。「・・・なんだ。言葉だけでは足りないか」「ああ、ちがうちがう、そうじゃなくてな」　何かを勘違いしたらしいルオーネが目をすがめるのを手を振って否定し、がりがりと後ろ頭を掻いてから、懐のものを取り出した。「こいつ、お前のだろ？」「・・・っ」　漆黒の人形。それを目にしたルオーネは驚愕に目を見開いた。「・・・大丈夫か？」　衝撃で心臓が止まりでもしたかのように硬直してしまったルオーネに、クラウスは気遣わしげに尋ねた。ルオーネはその声にびくりと震え、それから大きく息をついた。「いや。すまない。大丈夫だ。・・・そうか、やはり夢ではなかったんだな」「ってことは・・・」　探るようなクラウスの問いに、ルオーネはどこか自嘲するような笑みを浮かべた。「そう。先ほど〈卵〉から現れた。これが私のフェロウ、ということになるらしい」　〈フェロウ〉は人間のように動くことが出来るが、やはり人形の限界というものはあり、動きはぎこちなさが残る。だがそれを承知でもなお、ルオーネの〈フェロウ〉の動きは人形そのものだった。操り人形が糸で吊られているかのように、かくり、かくり、と動く。そのたびに、関節が擦れて小さく軋む音をたてた。クラウスが聞いたのは、この音だったようだ。「学期途中に卵を孵す奴もいるとは聞いてたけど、本当にいるんだな」　ことさらに明るく言うクラウスだったが、ルオーネからの返事は無い。ただひたすら、サイドテーブルの上を歩く人形を見つめている。「な、なあ、名前はつけたのか？」「名前？」　ゆらりとルオーネの顔が上がる。「そう、名前。つけてやんないと可哀想だろ。一生モンの相棒だぜ」「それはもう決まってる」　再び、ルオーネの唇が暗い笑みを形作る。「エリルハーズ・ノーニ。ジェッダ家の魔法使いのフェロウは、必ずこの名前にする習わしだ」「へ、へえ・・・」　クラウスは引きつった笑いを浮かべた。「おい、もういいだろう。これ以上ここにいたら、頭がおかしくなりそうだ」　肩のヴィンターがクラウスの襟を引っ張って囁いた。夜行性の動物のように光る淡い黄緑の瞳が、冷ややかにルオーネに向けられている。「そいつが何にショックを受けてるか知らないが、お前が付き合う義理もないさ。あとは寮監に任せればいい」「彼の言う通りだ。私のことなど構わず行ってくれ。礼は改めてさせてもらう」　目を合わせないままのルオーネの言葉に、クラウスはむっと唇を引き結んだ。「いやだね」「な・・・」「おい、クラウス？」「お前が困ってても俺には関係ないことだし付き合う義理もないってのは正しい。けど、腹が立つから言わせてもらうぜ」　戸惑うルオーネとヴィンターを意に介さず、クラウスはルオーネの座るベッドに、ガッ、と拳を叩き付けた。「お前は魔法使いになるためにここにいるんじゃないのか？　その意思に応えて相棒が来てくれたってのに、不本意って顔中に貼付けた面しやがって、こいつがどう思うかわかんねぇのか？」　びしりと突きつけられた指に、人形が動きを止めて首を傾げた。「こいつが生まれたのは、お前の心が呼んだからだろ。それが少しばかり普通と違う姿だからって拒絶すんのかよ。俺を理解できないと思うのはいい。どうせ道が交わることなんてないんだろうからな。けど、こいつは違うだろ。相棒を理解することを、最初から投げ出してんじゃねぇよ！」　大音声で吼え、クラウスはぐいとルオーネの胸ぐらを掴んだ。「名前のことだってそうだ。必ずその名前にする習わし？　そんなもの、お前がこいつのために考えた名前にしない理由にはならないだろ。伝統を守るのも大いに結構だけどな、意味もなく従うのが正しいのか？　自分が違うと思うんなら抵抗しろよ。納得出来ないならとことん追求しろよ。お前の人生だろうが・・・！」　真正面から睨み据える氷の色をした瞳に、ルオーネは声もなくただ呆然としている。クラウスは苛立ったように舌打ちをして、ルオーネを突き放した。「それでもこいつを受け入れられないってんなら、それもいいだろうよ。教官たちにはこいつのことは言ってないし言う気もない。お前の好きにしな」　そう荒々しく言い捨ててきびすを返す。最後に目に映った漆黒の人形の顔のしずく模様が、泣いているように見えた。　もう一度舌打ちをして医務室の扉に手をかけたとき、背後で低い笑いが起きた。「ハハ・・・まさかきみに道を諭されるとはな・・・」「んだと、この・・・」　思わず手を止めて振り向いたクラウスは、驚きに息をのんだ。「規律は守らず、年少の生徒に悪いことばかり教える、学園きっての問題児から説教か・・・私も焼きが回ったものだ」「お前・・・」　まだ笑いの収まらないルオーネの表情は、先ほどまでとは大きく変化している。「だが、おかげで目が覚めた。感謝しよう」　背筋を伸ばし、真っ直ぐクラウスを見つめたルオーネの瞳には、強い意思の光が戻っていた。「あってはならないことに遭遇し、少々動揺していた・・・それだけだ。私は何も投げ出したりしない」　きっぱりと言い切るルオーネに、クラウスはぽかんとしてから大きな笑い声を上げた。「なに俺に宣言してんだよ、お前！　そういうことは、隣りにいるやつに言ってやれっての」　サイドテーブルでルオーネを見上げる人形を指差し、クラウスは今度こそ扉を開けた。「で、あってはならないことって何なんだよ」　魔法図書館での課題の合間に、クラウスはこそりと囁いた。「いきなりなんの話だ」　真剣に文献を読み解いていたルオーネは、ぬっと突き出されたクラウスの頭を迷惑そうに押しやる。「お前が言ったんじゃないか。あってはならないことに動揺したって。こいつが生まれた時の話だよ」「ああ・・・」　エリルハーズ・ノーニを指して子供のように唇を尖らせたクラウスに、ルオーネは苦笑した。「我が家の魔法使いが受け継いで来たのは、フェロウの名前だけではないんだ。たまに厄介な傾向が出現する。そのひとつが〈顔のない人形〉・・・そんなところだ」　説明しているようでいて核心はぼかした言い方をするルオーネを、クラウスは横目で睨んだ。だがルオーネはすました顔で課題へと戻ってしまう。　ルオーネは人形にエリルハーズ・ノーニと名付けた。それを聞いた時、クラウスはただ一言「そうか」とだけ言った。自分の言葉が届かなかった、とは考えなかった。ルオーネ自身が考えた末の結論ならば、それ以上口を挟むつもりはない。　２ヵ月ほど遅れて星辰学舎へと進級してきたルオーネは、あっという間にクラスメイトたちを追い越すほどの優秀さを見せた。コツコツと努力を続けることが苦ではないようで、いまや課題の提出率はトップだ。　エリルハーズ・ノーニは、相変わらず言葉を話さない。感情らしきものを見せることもなく、淡々とルオーネにつき従っている。指示に対する反応は従順で、自我の強すぎるヴィンターよりもむしろ的確なこともある。　だがクラウスは知っていた。星辰学舎へと編入する前の日、ルオーネが教官と共に、管理棟へと向かったことを。そして、その顔がひどく深刻だったことも。ルオーネの悩みは、単に〈フェロウ〉の姿が普通とは違う、という程度のものではないということなのだろう。「ま、いいや」　クラウスはひとつ息を吐いて、体を引いた。何か重い事情があるとしたら、愚痴でもこぼせば楽になるんじゃないかと水を向けてみたのだが、ルオーネにその気はないらしい。　そもそも、そりの合わないクラスメイトであることには変わりないのだ。それは相手も同じだろう。先日の一件で多少はクラウスを認めるようになったようだが、それでも日常生活上での小言がなくなったわけではない。逆に、再び学年が同じになったことで、遠慮なしにやり込められることが増えたくらいだ。「気が向いたら教えろよ」「・・・そうだな。いずれ、必ず」　期待せずに言って、伸びをしようと腕を伸ばしていたクラウスは、返ってきた意外な答えにむせて咳き込んだ。「何をしているんだ」　変な体勢で咳き込んだせいで腕まで攣ってしまい悶えるクラウスに、ルオーネは眉根を寄せている。「なにって・・・お前が・・・」「私が？」　息も絶え絶えに言うと、ルオーネは真顔で問い返してくる。　しかし、その口元がわずかに歪んでいるのをクラウスは見逃さなかった。　 ――― なんだ、冗談も言えるんじゃないか。　そう思った瞬間、ひどく楽しい気分になった。「いや、いいさ」　ようやく息を整えたクラウスは緩やかに首を振り、ニッと笑った。「いつか、な」　そう言うと、ルオーネも笑った。「ああ、いつか」　初めて顔を合わせた時の印象は最悪だった。　人生は楽しまなきゃいけないと思う俺と、規律を守ることが第一のあいつと。顔を見れば説教と悪態の応酬だ。　だけど、お互いがその考えのいいところを影響し合えば、もう一段、上に行けるんじゃないか。そんな風に思えるようになったのは、この時からだ。　出会った時の印象は、あまりいいとは言えなかった。　責任や規則や周囲との調和、そういったものを考えずには動けない私に比べ、彼は生を楽しむことに貪欲だ。その振る舞いは理解しがたいものだった。　しかし、傍若無人にも思える中にも細やかな気遣いがあることに気付いたときから、彼の存在は苛立ちだけではない何かを私にもたらすようになったのだ。　第一印象では共感できるところが一つもなかった。何もかもが真逆の相手。　それなのに。　いつか、親友と呼べる存在になる。　そんな気がした。（ＦＩＮ）　

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