プリズム・オリジン外伝２　　『Sweet Sweet Chocolate』




「なんですか、これは？」
　食堂の配膳カウンターで夕食のトレーを受け取ったデイナント・フラウは、頼んだ覚えのない皿が乗っているのを見て眉をひそめた。
　それは小さなケーキだ。手のひらほどもない小さなものだが、しっかりとホールケーキの形をしている。本体を包むつややかなホイップクリームはチョコレート色で、角の立ったデコレーションホイップの合間に散る銀色の粒はアラザンだ。中央に鎮座するイチゴをラズベリーが取り巻き、その合間に複雑な形に織られた板状のチョコレートが差し込まれた、華やかながら落ち着きあるデザインが見事なケーキだった。
　見事であることは認めるものの、自分に似合うものではない。デイナントは不機嫌さを隠そうともせず低い声で言った。
「俺はケーキなど頼んでいませんが」
「プレゼント」
　手早く次の料理を盛りつけながら短く返してきたのは、この寮の食堂を一手に引き受けるシェフのエストだ。目深にコック帽をかぶった姿しか見せず、年齢性別共に不詳、人か竜人かも不詳・・・というプロフィールは生徒たちの間だけのことで、彼がまだ若い男性の竜人、しかも〈星の民〉であることは学園の教職員なら誰でも知っている。料理も菓子作りも超一流の腕を持ち、育ち盛りの子供たちの胃袋をバランスよく満たす達人で、無駄なことはいっさいしゃべらない。ともすると一日に一言も言葉を発しないことすらあるという。
　そんなエストも、さすがに言葉が足りないと思ったのか、作業の手を止めてデイナントを見た。
「誕生日って聞いた。だから特別」
「あ・・・」
　言われて、ようやくデイナントは今日が自分の誕生日であることを思い出した。このところ、ろくに眠れないほど忙しく過ごしていたせいで、すっかり忘れていたが、確かに今日は冬の１月１１日だ。
「疲れてる時は甘いものがいい。食べて」
「あ、ええ・・・ありがとうございます」
　礼を言うと、エストは少しだけ目を細め、作業に戻った。
　デイナントがカウンター近くのテーブルにつくと、食べ終えた食器を下げにきた基礎学舎の少女たちが目敏く気づいてトレーを覗き込んできた。
「あー、デイナントさん、あたしたちと違うケーキ食べてる、ずるーい！」
「ホントだー、大っきいしきれー！」
「どうしたの、どうしたの？」
　騒ぎ立てる少女たちに、デイナントは眉間のしわを深くする。それを見たデイナントの〈フェロウ〉であるアナスタシアは、厳しい声で言った。
「静かになさい。ここは食事をする場所であって、騒ぐ場所じゃなくってよ」
「ごめんなさい・・・」
　小さいながら迫力のある美女に叱られた少女たちはたちまちしゅんとなって、とぼとぼと食器を持って去って行った。
「ごめんなさい、私がエストさんにお願いしたの」
　後ろから、柔らかな声がした。デイナントがあわてて振り向くと、同僚であるアリィ・シェンドが申し訳なさそうな表情で立っていた。
「デイナント先生、このところお疲れのようだったから、気分転換にでもなれば、と思って」
　アリィは困ったような顔で頬に手を当てた。
「なのに、逆に疲れさせてしまったわね。ごめんなさい」
「いえ・・・」
　学園のマドンナに、こんな憂い顔を続けさせるわけにはいかない。デイナントは首を振った。
「お気遣いありがとうございます。大丈夫です、あの子たちが騒がしいのは、今に始まったことではありませんから」
　言ってから、デイナントは首を傾げた。アリィにもエストにも、誕生日を告げたことはないはずだ。わざわざ教えることでもないし、そもそも竜人には誕生日の概念は薄い。特に星の民は、その誕生の経緯から、産まれた日を知らないものも少なくないのだ。
「・・・俺は誕生日のことをアリィさんにお話ししたことがありましたか？」
　少し迷って、デイナントは尋ねた。するとアリィは気まずそうに目をそらした。ショックを受けるデイナントに、アナスタシアがあわててパートナーの袖を握る。
「ダーリン、気にしちゃ駄目よ、あたくしがいるじゃない！」
「・・・ごめんなさい」
　アリィはため息を一つこぼし、デイナントを見た。
「プライバシーを探るようなことをするつもりはなかったのだけれど、あの子たちに相談したら、その・・・」
　アリィが視線を流した先に目を向けると、星辰学舎の生徒たちが集まってこちらを見ていた。そういえば、占いの話で盛り上がっている女子生徒の雑談に巻き込まれ、誕生日を聞かれたことがあった、と思い出す。
「あの子たち、甘いものが意外にお好きだとか、中でもチョコレートのケーキはお気に入りだとか、トッピングはクランベリーよりラズベリーの方がいいとか、デイナント先生の好みもとてもよく知っていて。いろいろ話を聞くうちに、誕生日のことも聞いてしまったの。本当にごめんなさい」
　あんな小娘たちに調べあげられてるなんて・・・！と今度はアナスタシアがショックを受けている。デイナントはそんなパートナーの背に軽く触れてから、改めて生徒たちの方を見た。デイナントの視線に気づいた生徒たちは、にやにやと笑うもの、お気楽に手を振るもの、輝く目で見つめるものと反応は様々だが、悪意がないことだけはわかった。
「別に知られて困ることでもありませんし、アリィさんも気にしないでください。こうして祝ってもらえることの方が嬉しいですから」
　小さく息をついてから眼鏡を直して顔を上げたデイナントがアリィに告げると、こちらを見ていた生徒たちの間にどよめきが走る。常に仏頂面の自分の口元に浮かんだ笑みが原因だとは気付きもせず、デイナントは立ち上がり、アリィに頭を下げた。
「ありがとうございます」
「いえ・・・いえ！　こちらこそ、いつもありがとう。これからも頑張りましょうね」
「はい」
　微笑みを残してアリィが去っていく。デイナントはホッとして、改めて食事に取りかかった。
　真鴨のローストと旬の野菜を温かく仕上げたサラダに、芽キャベツのスープ。パンはクルミを混ぜたカンパーニュで、スープとの相性は抜群だ。相変わらずエストの腕に曇りはない。
　そして一人分の小さなバースディケーキ。
　濃厚なチョコレートとラムの香りが際立つ、エスト得意のチョコレートケーキは、いつもよりも甘く感じられた。
「・・・ありがとう、ございます」
　ひっそりと呟く。これほどの人たちに心を寄せられていることが、何より嬉しかった。
　舌に残るこの甘さがあれば、日々の忙しさに押しつぶされることなく進んでいける。そう思えた。



　お礼をしなければと考えたデイナントが、アリィやエストの誕生日をさりげなく聞き出そうとしては失敗し、自室で煩悶する羽目になるのは、また後のお話。


（ＦＩＮ）



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