星のとびら　外伝（２）


〈はじめまして、ナーシアです。カーヤ、イーサー、どうぞよろしく〉
　ハリールが自室で披露したプログラムは、やわらかい女性の声を模した合成音声で挨拶をした。同時にモニターにも文字が表示される。
「どんなことが出来るの？」
　わくわくとした表情で、モニター前に座ったカーヤが背後のハリールを見上げた。
「基礎的なシステム管理はとりあえず出来るようになっている。だが、ブレインとはまだ言えないな。そもそも、ナーシアはブレインに人格を持たせるための試験的なプログラムなんだ」
「ブレインに人格？　なんでそんなことすんだよ」
　カーヤの脇からモニターをのぞきこんでいたイーサーが振り向く。しかめられた顔は、ハリールの試みが常識的でないことを表していた。
　音声や映像での命令を認識することのできるブレインはすでに開発され、対話による運用も行なわれている。だが、ブレインはあくまでも道具であり、命令の復唱、質問事項への返答を行なう程度のことに、個性を求めたところで意味はない。それが常識だった。
「そんな無駄なことにソース使うくらいなら、処理速度上げたほうがよっぽどいいだろ」
「そうよね。効率悪いわ」
　まだ１２才とは思えない発言に、ハリールは真顔で頷いてみせる。
「そうだ。効率は悪い。だが、悪くて何がいけない？」
「え？」
　ぽかんとする二人に、ハリールは講義をするかのように淡々と言った。
「コンピューターばかりが速くなったところで、使う人間の速度は限界がある。効率だけを追求しても結局は使いこなせないのなら、それこそ意味がないだろう。自らが人格を持つことでブレインが人の思考を知り、人に合わせることを知れば、結果として効率が上がるかもしれん。違うか？」
「・・・そんなの、わかんないよ」
「正直、私にもわからない。だから、ナーシアを作ってみた。実践に勝る検証はないからな・・・ナーシア」
〈はい、なんでしょう？〉
「気分はどうだ？」
　唐突なハリールの問いに面食らったのは、ナーシアではなくカーヤとイーサーだった。
「な、なに言ってるの、ハリール！」
「そうだよ、プログラムに気分も何も・・・」
〈とてもすてきな気分です、ハリール〉
　驚く二人の言葉をさえぎり、ナーシアが朗らかに告げる。
〈新しいお友達にも会えましたし、今日はいい日ですね〉
　そうして出会いの歌の一節を口ずさんでみせたプログラムに、カーヤもイーサーもあっけに取られて言葉もない。
「最終的にはブレインとしての稼動を考えているからな、汎用性のある対応を覚えさせたいのだが、私一人では偏りが出るだろう。二人とも、よければナーシアの教育を手伝ってくれないか」
　ナーシアといくつかの会話をしてみせたあとハリールが提案すると、カーヤが真っ先に頷いた。
「もちろん！　ナーシア、あたしがカーヤよ。よろしくね！」
〈こちらこそ。わたしはまだ知らないことが多いので、いろいろと教えてもらえますか？〉
「まかせて。もう、なんでも訊いてちょうだい」
「ちょ、ちょっと待ったカーヤ！」
　嬉しげなカーヤを押しのけるようにして、イーサーが割り込んだ。
「ナーシア、こいつに聞くのだけはやめとけ。無駄な知識ばっかり増えて、後で困るのは自分だぜ。ハリールも止めろよな」
「まぁ、確かにカーヤの知識が偏ってるのは知ってるが・・・」
「だったらボケーっと見てんなって。ご自慢のプログラムが雑学王になってもいいのかよ」
「あらあら、イーサーったら」
　しかめっ面の弟に、カーヤは楽しげに言った。
「あなた、ブレインに人格なんて無駄とか言ってたくせに。そんなに必死になるなんて、おかしな子ね」
「う、うるさいな。ぼくの勝手だろ。カーヤだって効率悪いって言ってたじゃないか」
　からかいの言葉に、イーサーの首筋が赤く染まる。
「どんなプログラムだろうと、カーヤに駄目にされるのは見てられないんだよ」
「ひどいわ、そんな言い方」
「そこ、泣き真似しない！」
　しくしくと泣き出したカーヤに、イーサーがびしりと指を突きつける。そしてそのままハリールを睨み上げた。
「まさかと思うけど、今は学習機能は切ってるよな？」
「いや？」
　ハリールは当然という顔でイーサーを見下ろした。
「ナーシアはまだまっさらの白紙状態だ。学習機能を切っていたら、成長しないだろう？」
「だからって、こんな無防備に他人に接触させんなよっ」
　地団太を踏まんばかりのイーサーに、ハリールは困惑気味の表情になる。
「・・・何をそんなに怒ってるんだ」
「怒ってない、呆れてるだけ。ったく・・・これ、かあさんには見せたのかよ？」
「いや、まだだ。見せられるような段階じゃない」
「あたしはそんなことないと思うけど」
　即座に首を振るハリールに、カーヤが人差し指を唇に当てて小首をかしげる。
「思い切って見せてみればいいのに。アドバイスもらうとか」
「だよな。反応も悪くないし、これなら実用化もすぐだろ。かあさんなら、」
　言いかけて、イーサーは口をつぐんだ。それを見て、ハリールがごくわずかに口の端を持ち上げた。
「そうだろうな。博士ならきっと、すぐにでもナーシアを完成させるだろう。だが、だからこそ私は自分の力で完成させたい。あの人に追いつくために、私はナーシアを作り始めたのだから」
　一瞬、遠くを見つめたハリールは、すぐに顔を戻して二人に笑いかけた。
「それに、きちんと完成させたのを見せて、博士を驚かせてみたくないか？」
「あっ、それ面白そう！」
　すかさずカーヤが楽しげな声を上げた。
「あたし、がんばるわね、ハリール。お母さんをびっくりさせちゃうんだから。それに、ナーシアともお友達なりたいし」
〈光栄です、カーヤ〉
「ふふっ、仲良くしましょうね、ナーシア」
　嬉しそうな双子の姉に、イーサーは額に手を当てて嘆息した。
「ホントに意味わかってんのか。親と教師の役ってことだぞ」
「わかってるわよ」
　ばかにされたように感じたカーヤは唇を尖らせ、腰に手を当てて弟の顔をのぞきこんだ。
「もちろん一緒にやるわよね、イーサー？」
「・・・カーヤに任せて滅茶苦茶になったらナーシアが可哀そうだし。仕方ないから、ぼくも手伝ってやるよ」
　いかにもしぶしぶといった様子でイーサーは頷く。カーヤは「素直じゃないんだから」と笑った。

　一年後、ナーシアは完成し、試験的に運用された。移民船という閉ざされた環境の中で仲間が一人増えたかのような感覚は、ハリールの予想を超えて人々に安心感を与えた。
　もちろん、ブレインが人格を持つことで起こり得るトラブルは予測できたが、ナヒタ博士は船のメインブレインにナーシアの理論を取り入れることを決断、移民船〈ソル・ホーリヤ〉に新たな仲間が増えることになった。

　 ――― そしてさらに数年が過ぎた。


「お聞きしてもいいですか」
「なにかしら」
　改まって告げたハリールに、背を向けて椅子に座っていた女性が振り向いた。年齢を重ねても変わらず、ラナは穏やかな雰囲気をまとっていた。
「・・・なぜ、あんなことを？」
　少しためらってから、ハリールは言った。曖昧な質問に、それでもラナは微笑んだ。
「必要だと思ったからよ」
「ですから、なぜ・・・」
「わからない？」
　もどかしげなハリールに、ラナの笑みは深くなる。
「わかりません。あれは敵を排除するためのものでしょう。そのために組み込んだはずのものに、あんな・・・」
「無駄なことを？」
「・・・はい」
　先回りしたラナの言葉に、ハリールは頷いた。するとラナは少しだけ視線をそらした。
「そうね。無駄かもしれない。でも、役に立つかもしれないでしょう。もし彼が目覚めることがあったらその時は、役立って欲しいと私は思っているわ」
　ラナはそう言って、ハリールを見た。
「だって彼が起きるということはつまり、貴方たちの側に私たちではない誰かが来ているということよ。それがもし敵であったのなら、貴方たちに危険が及ぶかもしれない。考えて考えて貴方たちを守る方法をいくつも作ったけれど、もし敵が敵でなくなるとしたら、話をして分かり合えるなら、それが一番でしょう？」
「でしたらラトゥのほうが適任です。なにもわざわざ変えなくても」
「いいえ」
　苦しげにうめくハリールに、ラナは静かに、だがきっぱりと首を振った。
「いいえ、ラトゥではだめ。彼女はおとなしすぎる。交渉ごとというのは、いかに最初に相手をこちらのペースに巻き込むかが肝心なのよ。だからこそ、彼の個性が生きてくるわ」
　ハリールは、確信があるかのように語るラナの瞳を、戸惑いをもって見つめた。
　船のメインブレインにナーシアのパターンを移植したあと、別の人格を生み出そうと改良したプログラムは、確かに個性という点では際立っていた。だがハリールには、ラナがそれほどまでに評価する理由がわからなかった。
「ねえ、ハリール。人は言葉を交わすことで、信頼を繋ぐのよ。最初から決め付けて声を聞こうとしなかったら、永遠に分かり合うことは出来ないわ。たとえ今は無理でも、いつかは届くかもしれない・・・その可能性を、私は信じたいの」
　答えを返すことの出来ないハリールに、女性は小さく微笑んだ。
「貴方がつけた彼の名前・・・あの神様はいたずらが過ぎて天から落とされたけれど、そのおかげで私たちは彼から言葉というものを教えてもらえたわ。争いを、話し合うことで解決するすべを教えてくれたのは彼なのよ。乗り込んできた敵と話すのに、これ以上の適任者はいない。そうでしょう？」
　それでもまだ無言で唇をかむハリールに、ラナは慈愛に満ちたまなざしを向けた。
「大丈夫、自信を持って。彼を育てたのは貴方なのだから。必ず誰かの心に響く言葉を語るはずよ」
　ラナの背後の窓には、満天の星。
　まるで宇宙に浮かんでいるようだと思ったことを、ハリールは覚えている。
「ああ、もう行かなくちゃ」
　ラナが言って、立ち上がった。ふわりと浮いた髪が、窓を隠すように視界一杯に広がった気がした。
「これでお別れだけど、私はいつも貴方たちのことを思っているわ」
　立ち尽くすハリールを、ラナはそっと抱きしめた。
「ハリール、私の可愛い一番弟子。貴方の道に、幸いが満ちますように」
「ナヒタ・・・博士・・・」
　うつむくハリールの頬を、ひとすじの涙が伝う。
「あの子たちを、お願いね」
　囁くような声は、いつまでも耳に残っていた。

　サラ・ヌイの移民船〈ソル・ホーリヤ〉は、航行中に隕石の衝突を受けて航路を外れ、惑星レピトの重力にとらえられて地表へと墜落した。
　その衝撃で船を司るメインブレインがダウンしてしまった〈ソル・ホーリヤ〉は、コールドスリープ処置を施された乗員とともに、惑星レピトの地中で眠り続けることになる。
　１０００年の時を越え、新たな出会いを生み出すその時まで。

（Ｆｉｎ）


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