星のとびら プロローグ
人類は、もう誰も知らないほど昔から宇宙を生きる場としてきた。
満足な記録の残っていない、闘争による暗黒時代を経て銀河連邦が成立してから数えても、すでに八百有余年。人類は無数の星系に有人惑星を作り出し、飽くことなくその版図を広げつつある。
宇宙空間を統括する存在として作られた銀河連邦では、星系ごとに独自の政権を認めている。しかし、連邦を無視することは、どの国家にも出来ない。なぜなら、すべての国家は武装することを許されておらず、あらゆる軍事力は銀河連邦の管轄下となっているからだ。
銀河連邦宇宙軍。治安維持と紛争解決を一手に引き受ける、宇宙で最大唯一の軍隊だ。地方区域ごとにチェルビ・トリエフィ・ピーキィ・ブォヌイの四つの司令部があり、そのすべてを取りまとめる総司令部は連邦本部と同じ惑星に置かれている。さらに下には星系の数だけ支部が存在し、最小でも一大隊以上の規模の軍が駐屯している。
連邦市民の平和のため、兵士たちは日夜、様々なものと戦っているのだ。
一
その日は空が澄んでいた。風もなく、陽射しは穏やかだ。周囲に広がるのは人の膝ほどもある草の原。遠くに連なる山が見える。
草原の中に、武骨なフォルムの車が一台、停められていた。その中で、一人の男がシートにもたれて心地よい午睡を楽しんでいた。だらしなくくつろげられたジャケットは、シートと体に挟まれてくしゃくしゃになっている。だが男はまったく頓着せず、気持ちよさげな寝息を立てていた。
『隊長、始めてもよろしいでしょうか？！』
そんなのどかな情景を突き破るかのように、ダッシュボードに取り付けられた無線機がわめく。青年とはいえないが、中年にはまだ間がある、そんな年恰好のその男は、広げた雑誌の下で顔をしかめた。
『隊長、エイドリアン隊長ー！ 聞こえてますか、どうぞー！！』
機械が壊れるかと思うほど叫ぶ部下の声に、男はいかにも面倒くさそうに手を伸ばし、無線のスイッチを入れた。
「好きにしろって言ったろ。俺は忙しいんだ」
「・・・いつも寝てるだけのクセに」
起き上がりもせず答えた男にぼそりと突っ込んだのは、隣のシートの青年だ。着ているものは男と同じ濃紺のジャケットに白のスラックスだが、とても同じデザインには見えないほど、一分の隙もなくきっちりと着こなしていた。
「文句あんのか」
「いいえぇ、別にー」
雑誌を持ち上げじろりと睨まれても、こたえた様子もなくすましている。男は一つ息をつき、雑誌をかぶりなおした。
青年はそれを見て小さく肩をすくめ、無線機のマイクに向かい声を張り上げた。
「作戦を開始する。総員、所定の位置まで退避せよ」
『了解！』
無線機が弾んだ声を吐き出し、交信が途切れる。青年は双眼鏡を取り上げ、草原の一角にある小高い丘に向けた。
しばらくして、丘の上に煙が上がる。同時に低い地響きと共に地面が揺れ、丘の上から無数の鳥が飛び去るのが見えた。
それが数回繰り返され、やがて草原は静けさを取り戻した。
「状況を報告せよ」
完全に静まったのを確認して、青年は無線機のマイクを取り上げる。すぐにノイズ交じりの応答があった。
『成功です！ 船体上部の土砂は完全に除去されました。これから内部の確認に向かいます』
「わかった。貴重なサンプルだ。くれぐれも慎重にな」
『了解！』
ぱちりとスイッチを切り、青年は大きくため息をついた。そして、相変わらず居眠り状態の男に向かって口を開く。
「というわけで、隊長。この」
「任せた」
「・・・は？」
言葉をさえぎった男に、青年が目をぱちくりとさせる。男は雑誌を少しだけずらし、片目を出して青年を見た。
「どうせ報告書のことだろ？ お前に任せた。適当にやっといてくれ」
「た、隊長！ 普段なんにもしてないんですから、こういう仕事くらいちゃんとやって貰わなきゃ困ります、隊長、隊長〜！！」
耳元でがなりたてる青年にガクガクと肩を揺さぶられながらも、男は頑として起きようとしなかった。
こんな辺境に似合いの、いつもと同じ、平和な任務。支部に報告を送ればそれで終わりだと、男はこのとき疑いもしなかった。
男の名はエイドリアン・クレメンツ中尉。トリエフィ司令部クーリエ支部第７２警備隊所属巡察小隊の隊長を務める、銀河連邦宇宙軍のれっきとした士官である。
今日は、惑星レピトにて発見された、地中深くに埋まった古代船を掘り起こすことが彼の小隊に与えられた任務だった。
すべてを副官の青年に任せ、忘却のかなたへ放り投げたはずのこの任務がエイドリアンの前に再び姿を現したのは、三ヵ月後のことだった。
二
「エネルギー回路、正常」
「基礎理論構築、８７％完了」
「動作チェック、異常なし」
「エネルギー、フルチャージまであと３００秒」
無数のモニターの前に座った技術者たちが、次々と声を上げる。ガラスで仕切られたブースの向こうには、広大な格納庫に無数のワイヤーで固定されて鎮座した、大型宇宙船が見えている。
惑星レピトで発掘されたその船は、人類に〈ゲート〉航法をもたらしたサラ・ヌイの人々の手によって作られたものであることが判明した。船体にサラ・ヌイ語で書かれた「幸いを運ぶ船」という文字から、幸運の意味を持つ〈フォルトゥーナ〉と命名されたその船は地中にあったために破損が少なく、いまだ研究途上のサラ・ヌイの技術を解析する手がかりとして、大いに期待されていた。
「〈フォルトゥーナ〉、メインブレイン起動準備完了」
技術者の一人が告げた言葉に、周囲が静まり返った。機械の作動音だけが、単調な響きを室内に送り出している。
人工知能により、複雑な処理を可能にしたコンピュータを電子頭脳 ――― ブレインと呼ぶ。すべての宇宙船は、このブレインによって動かされていると言ってもいい。〈フォルトゥーナ〉にももちろん搭載されている。そこからデータを引き出すことができれば、研究は大いに前進する。
一瞬の沈黙の後、一人だけ離れた机に座っていた男が立ち上がり、口を開いた。
「クライン、コネクトスタンバイ」
「了解」
ブゥン、という耳障りな音と共に、モニターの表示が切り替わる。めまぐるしく流れては消える文字が、赤から緑へと変わっていく。すべてが緑に変わったとき、画面に大きく「ＯＫ」の文字がまたたき、スピーカーから合成音声が流れた。
『私は イゴル基地 第三ブレイン クライン です ご命令を どうぞ』
「よし、クライン。これから、〈フォルトゥーナ〉との情報連結を行う。情報連結を確認次第、データバックアップと翻訳を開始せよ」
『了解 しました』
「では、はじめるぞ。回路開け。〈フォルトゥーナ〉メインブレイン、起動！」
「起動します」
複数の技術者が、同時にキーボードに指を走らせた。様々なグラフや文字がモニターの中で躍り、次々と作業完了を告げる。最後にブレイン同士を直接繋ぐ情報連結が完了し、室内の人間すべての視線が中央のモニターに注がれた。
成功していれば、クラインの翻訳機能を利用し、〈フォルトゥーナ〉のメインブレインとの対話が可能になるはずなのだ。
『〈フォルトゥーナ〉メインブレイン 起動確認 対話モード 作動』
クラインの、抑揚を欠いた合成音声に一つうなずき、男が口を開く。
「メインブレイン、聞こえるか？」
『はいは〜い、とってもよく聞こえますよ〜』
突如、スピーカーがこの場に不釣合いな能天気な音を発した。
『いや〜、すっかり寝ちゃいました。あ、すみませんねぇ。ちょっとお伺いしますけど、今っていったいいつですかね？ ワタシ、どのくらい寝てました？』
まるで機関銃のようにまくしたてる声に、反応できる人間はいなかった。
室内には、トリエフィ司令部でも腕利きの調教士が多数控えていた。だが彼らにとって、電子頭脳とは人間の補助をするものだ。音声での対話は、あくまで人間の命令に対して電子頭脳が応答するだけの機能である。
『・・・あ、あれ、ここどこですか？ うわわわっ、なんでワタシ、拘束されてるんです？！ ちょっとみなさん、ワタシに何する気ですか、たぁすけてぇ〜！！！』
一人で騒ぎ、悲鳴を上げる。
そんな電子頭脳を扱える人間など、今この部屋の中には存在しなかった。
〈バアルジェナム〉というブレインの名前をかろうじて聞き出し、気を取り直して対話を試みた調教士たちは、更なる驚愕に見舞われた。
「お、覚えていない・・・？」
『はい』
バアルジェナムと名乗ったブレインは、あっけらかんと言った。船のサイズ、最大収容人数、武装といった基本的なことすら答えることが出来なかったのだ。
『どうやらワタシ、記憶喪失みたいです』
ばかな、とクラインにデータの吸い出しを命じても、存在していないと不可能を告げられてしまう。
これでは、ブレインとしての機能がまるで無いことになる。ならばクラインに外部ブレインとして〈フォルトゥーナ〉をコントロールさせよう、と試みれば、その操作のことごとくが強固な防護壁によって阻まれ、一切の入力を受け付けない。
有り得ないことの連続に調教士たちは半狂乱になった。
『ワタシ、行かなくちゃいけません』
基地中の人間がこのいかれた電子頭脳をどうにかしようと四苦八苦する大騒ぎの中、当人が突然まじめな声で言い出した。
『いいえ、止めてもムダです。ワタシには崇高な使命があるのですから。ええ、これだけは思い出しました。ワタシは行かなくてはならない・・・！』
どこか芝居がかった台詞を告げると、〈フォルトゥーナ〉は己を繋ぎとめるワイヤーを引きちぎり、格納庫内を進み始めた。
まだ基本スペックすら把握していない貴重な無傷の発掘船を、みすみす逃がすわけには行かないと、トリエフィの長官はブレインの説得を技術者たちに命じた。
バアルジェナムは一歩も譲らず、交渉は難航した。
担当の技術士官が必死にクラインと繋がるマイクを握りしめて行き先を問いただすと、〈フォルトゥーナ〉のブレインが示した宙図は、現在知られているどの空域のものとも一致しない、未知のものだった。
新たな航路の開拓は、連邦にとって非常に重要である。司令部は改めて〈フォルトゥーナ〉のブレインに提案した。
すなわち「キミの使命に、われわれも協力させてくれ」・・・と。
三
だだっぴろい格納庫いっぱいに、その船はいた。エイドリアンが首が痛くなるほど見上げると、はるか頭上でハッチに繋げられた連絡橋を大勢の軍人が行きかう様子が見えた。
「ああ、隊長殿、こちらでありましたか」
駆け寄ってきた、まだ幼い顔立ちの少年兵がエイドリアンを見つけて敬礼をする。
「準備、整いました。隊長殿が来られ次第、面接を始めるとのことです！」
まだ大尉という階級で未知の航路へ挑む調査隊の隊長へ抜擢された有能な指揮官、とでも思われているのか。少年のキラキラとしたまなざしからエイドリアンは目をそらした。
軍機ナンバーＴｊ−８１７、という仰々しい名前が振られたこの調査隊は、未知の宙域へ向かうのと同時に、船に使われている遺失技術についての研究を行うことになる。だが艦自身はほぼ無傷であるにもかかわらず、ブレインが欠陥品なために基本的な船内情報すら穴だらけなのだという。まずはそこから手を付けなくてはならないのだから、先の長い話である。
さらに異常なのは、れっきとした軍の作戦行動であるにもかかわらず、なぜか民間からの協力を仰ぐことになっていることだった。
連邦宇宙軍と同じほどの規模を持つ連邦大学の研究者や、長期にわたる航海のための食料供給ノウハウを持つ生産者などを迎え入れる必要がある・・・というのは司令部の建前だと、エイドリアンは思っていた。帰還の目処のたたない航海へ、優秀な軍人を送り出したくないというのが本音だろう。
――― それで貧乏くじを引かされたのが俺ってわけだ。
エイドリアンは、もう何度目かわからないため息をついた。あまり地位の低い人間を隊長に据えるわけにはいかない。かといって階級だけの無能者でもまずい。そんな思惑の中で目を付けられたのが、問題の船の発掘を指揮した（とされる）エイドリアンだったのだろう。
『君の報告書は読ませてもらった。実に的確かつ精密だ。あれだけの観察眼と推察力を持つ君ならば、立派に任務をこなしてくれることと期待している』
辞令を渡される際、上官である大佐に重々しく言われたことを思い出す。まさか、それを書いたのは自分ではないと言い出せるはずもなく、エイドリアンは歯噛みした。面倒だからとすべてを副官任せにしていたツケが、こんな形で現れるとは。今頃は彼の後任として隊長を務めている彼がこの状況を知ったなら、「ほら、日頃からきちんと働いてないからです」とでもいうのであろう。
辞令には新しい階級章がついてきた。民間人を含むとはいえ、人数だけを言えば三個中隊にも匹敵する規模が想定されている。本来ならば少佐クラスが率いることになるのだろうが、さすがに二階級特進とはいかなかったらしい。なにしろ今までのエイドリアンの軍内部での評価は、可もなく不可もなくといったところのはずだった。当然、大佐の言葉もお世辞半分といったところだろう。いなくなっても痛手にならないと判断されたのは構わないが、面倒な責任のある地位を押し付けられたことには大いに不満がある。
「クレメンツ隊長殿？」
少年兵が、いぶかしげに顔を覗き込んでくる。エイドリアンは仕方なく、もう一度ため息をついて少年をうながし、歩き始めた。
（まあ、いいさ）
肩に引っ掛けていた軍服のジャケットに袖を通しながら、エイドリアンは内心で肩をすくめた。
採用の決定権はエイドリアンにある。司令部からは、自由にやっていいとのお墨付きもいただいた。任務からは逃げられない。ならば、彼がすることはただ一つだ。
「今回の任務、どのような方を採用されるおつもりでありますか？」
ワクワクとした表情で聞いてくる少年に、エイドリアンは笑みを浮かべて答えた。
「そうだな。まぁ、柔軟性が必要だろう。どんなことも楽しめるような、な」
その笑顔に含まれた企みの色に少年は気付かず、素直な感嘆の声を上げた。
「なるほど！」
「長い任務だ。楽しくなきゃ、やってられねぇだろうさ」
「そうですね！ さすが隊長殿！」
憧れを瞳にたたえる少年は知らない。エイドリアンの「楽しい」は「楽ができる」であるということを。
Ｔｊ−８１７調査隊、総勢２６９名を載せ、発掘船〈フォルトゥーナ〉は星の海へと漕ぎ出した。
時に連邦標準暦８４４年２月。
冒険の扉が、開く。
(to be continued・・・)
◆◇ＮＰＣ一覧(５０音順)◇◆ 名前／性別／年齢／所属／職業
○エイドリアン・クレメンツ／男／３６／連邦宇宙軍／調査隊隊長兼船長
○バアルジェナム／？／？／？／発掘船〈フォルトゥーナ〉ブレイン
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